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ハタノタケシのおもしろ日本論史



             平成20年6月のテーマ

  NO.34  「 日米3人女性、友情の絆 大山・津田・ベーコン 」

    父が篤実な牧師であるベーコンが、まだ14歳の少女の時、コネチカット州ニュー・ヘイブンの自宅に、2歳
    年下のあどけなくも凛とした日本の少女留学生がやってきた。名前は山川捨松。会津藩家老の娘で、後に
    陸軍元帥大山巌の妻である。捨松は、明治4年(1871)の岩倉使節団の5人の女性留学生のうちの一人
    であり、以後10年以上アメリカで学ぶ事になる。使節団の中には、当時7歳の津田梅子(後の津田塾大学
    創立者)もおり、以後3人は強い友情で結ばれた。
    それから17年後の1888年、華族女学校の英語教師になっていた梅子と、大山夫人となった捨松は、献
    身的に黒人を教育していたベーコンを、華族女学校英語教師として日本に招聘した。
    華族女学校では、女学生の淑女然とした態度が待っていた。
    「ここの生徒たちは、完璧な淑女で、礼儀正しく、学校の先生や監督者がしてほしくないと思うことは絶対に
    しません。廊下では物音一つたてないし、授業中にはおしゃべりは全く聞こえてきません。生徒たちは、先
    生の話を一言も聞き逃すまいと集中し、他人、特に先生の感情を損なわないように常に注意を払い、思慮
    ぶかく振る舞うのです」。
    教室の外まで整列し先生を待ち、お辞儀し、教室に粛々と入りまたお辞儀をする。名誉心ある子女は、卑
    怯や卑しい行いを軽蔑するという事にもベーコンは感心する。上流子弟の志操が、これほどまでに高く、確
    かに存在していた事を心に留め置きたい。
    ベーコンは一年程で帰国するが、津田梅子の女子英学塾(後の津田塾大・捨松は顧問)創設を手伝いに、
    10年ほど経った1899年、懐かしの日本の地を踏むことになる。ベーコンは、友人達のために無給で英語
    教師を勤め励んだのだった。
    ・出典 「華族女学校教師の見た明治日本の内側」中央公論社
    ・アリス・ベーコン(1858年〜1918年)米国人女性教育者。

              *毎月1回 月初公開 次回の掲載予定は平成20年7月5日頃です

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